3日目の朝

 予定通りに、2泊3日の旅が終わった。入院中には台風15号の影響で愛知県下でも100万人ほどに避難勧告が出たようだ。家に帰って新聞を見て驚いた。まったく病院という所はこちらから情報に気を付けていないと外のようすが分からない。

 22日退院の日。朝早く目覚めて大きな窓から見渡せる朝焼けの風景にしばし見とれていた。紺色の空が明るくなってやがて空の下から淡いオレンジ色が見えて来てだんだん紺色が明るくなり青から水色に変わり、ピンク色の雲が大きく優しく流れていく空。入院中どんより曇り色一色だった中に雨がひどく降っていたが、自然とはこういうものなのだ。こちらの力ではどうしようもない大いなる力がある。

 暫くして、まだ朝食前だったので、玄関のロビーに行きゆっくりソファーに座ってテレビを観る格好でくつろいだり、非常口用のドアーを開けて空の下にも行ってみた。

 そこには、同じ様にケア帽子をかぶった人が二人お話ししていたので、ごあいさつしたら、ケア帽子つながりですぐに打ち解けて喋ったりした。わたしは乳がん、彼女たちは肺がんということらしい。肺がんでも手術できないことらしく抗がん剤でしのいでいるとか。色々だな、脱毛故にケア帽子かぶっている人も夫々なのだ。
 
 別れ際、二人ともから優しい視線が帰って来ていた、「また会うかもしれませんねぇ、よろしくね〜」人はこんな風に繋がれるものなのだ。心身のどこか痛い部分で。


 さて、タッキー投与3日目の今朝。

 久しぶりに小松菜ジュースを飲んで、朝はパン食をいつも通り野菜たっぷり食べて、お鍋でことことポトフを煮ていた。ECの時とはかなり違う楽チンモード。副作用はもっと後の方で、ジワジワーとくるものかも知れない。Y先生がおっしゃるには、顕著なのが浮腫み。それもいつか出るのだろうな。しびれとか、関節の痛みとかは抗がん剤中だけではなく後々残って何年か掛ることもあるかもしれないと言うことだ。それは、片隅に置いておかなければ。その時はその時だ、Y先生を頼りにしている。

 今のところは大丈夫。それしか言えない。先のことを想像して重い気分を連れてくるのは止めた方がよさそうだ。今日を楽しく過ごさなきゃどうするの!

 

 帰って来た庭には秋の花が咲きだしていた。